役割
どうもやっちーです。(・ω・)
前に日常の分厚さについての記事書いたけど
http://yan-yan-814milk.hateblo.jp/entry/2017/10/14/105839
「日常の分厚さに負ける」というのはどういうことか、さっきしかちゃんと話していて気がついた。
人は皆、何かしらの役割を与えられている。
その役割が、自分の生きる使命に沿っているほど、そしてその役割を全うしていればしているほど、充実した日常生活が送れるんじゃないかと思う。
日常の分厚さに負けるというのは、その「役割」を持っていない状態のこと。
なんの役割もなく、ただただなんとなく一日を過ごしている状態のこと。
じゃないかと。
今まで担ってきた役割が大きければ大きいほど、その反動は大きい。
例えば、この言葉をもらった高校時代、私は吹奏楽部の一部員として、その役割を担っていた。
かなり活発に活動してたもんだから、引退したあとは本当になにもやることがなくなって、パンピーは一週間で飽きた。
役割のない日常はすごく退屈。でも、大きな事件も起きないから、安全といえば安全。
その安全で退屈な環境に甘えて過ごす日常がきっと、「日常の分厚さに負ける」ということなのかなと。
今の私の日常が充実していると感じるのはきっと、使命に沿った役割を全うしているから。
そんなことを感じた、仕事帰りの地下鉄なのでした。
💖愛と幸せおすそわけ💖
やっちー(・ω・)