やちよ(・ω・)の頭の中。

備忘録的な感じでいろいろ思ったことをつづっています。

手塚治虫になりたい人生だった

どうもやっちーです。(・ω・)

 

子供のころ、私は

『凄い人』になりたかった。

 

小学4年生の時、学校の図書室で読んだ手塚治虫の伝記。

彼は、自分の「好き」で「得意」なことを貫いて

伝記に乗るような『凄い人』になった。

 

その彼の生きざまを知り、私も自分の才能を使って

伝記に乗るような『凄い人』になりたいと思った。

だから、漫画家になりたいと思った。

 

でも、大人になればなるほど思い知らされる。

 

私よりもずっと才能にあふれた凄い人はたくさんいて

私は自分が思っていたよりもすごい人間ではなくて

私は私が思い描いていたようなすごい人にはなれないのだと。

 

 

私は器用貧乏だ。

勉強は嫌いだったができなくはない。

運動は別に好んでやるほうではないができないわけではない。

音楽は幼いころからずっと好きで、楽譜は人並みに読めるし

楽器は、うまい下手は置いといて最低限音を鳴らすことはできる。

絵を描くのも好きだがずば抜けてうまいというわけでもない。

物語を考えるのも好きだが最後まで書ききったためしがない。

文章を書くのも嫌いじゃないがまるで続かない。

興味がわくものは結構手を出してきたがどれも趣味レベル。

 

それでも自分はすごいんだと思い込みたくて

父親という武器を使った。

すごい高校のすごい部活に入った。

すごい会社に入った。

でもそれは私がすごいんじゃなく、

私の親が、私がいる環境が、私の周りの人が、

すごいだけだった。

私自身は何もなかった。

 

 

自分は大した人間じゃない。

 

そんな現実を理解するうちに、私は何かをあきらめるようになっていた。

今も、私は何かをあきらめている。

 

何を?

 

自分がすごい人になること。

自分が目立とうとすること。

自分が輝こうとすること。

 

私はすごい人じゃない。

私はすごい人にはなれない。

でも、それを決めているのは紛れもなく自分自身。

 

たぶん、私はすごい人になろうと思えばなれるのだ。

自分がそれを認めていないだけなのだ。

 

すごい人に共通しているなと思うことは、

自分の「好き」を貫き通しているということ。

あきらめないこと。向き合い続けること。

音楽でも、スポーツでも、ビジネスでも、なんでも。

つづけた人が、すごい人になっている。

私に決定的に足りないのは、「続ける力」だ。

 

あと、なんだかんだ言って私は自己承認力が足りていない。

つまりセルフイメージがまだまだ低い。

 

というわけで、筋トレを始めることにした。

(どういうわけ?!)

 

もちろん、体を引き締めたいという気持ちもあるが、

それ以上に、自分のセルフイメージを上げるために

筋トレをしてみようと思う。

体を引き締めて、それを継続することで、

セルフイメージを上げてみよう大作戦。

 

というのを、今日散歩しながら思いつきました。

 

とりあえず、やってみよう。

 

 

 

君をたどる旅。私を癒す旅。

どうもやっちーです。(・ω・)

 

以前こちらの記事でお話しした私の前世↓

yan-yan-814milk.hateblo.jp

 

この人の故郷が長崎ということで、彼のルーツを何か知れないだろうかと思い、

行ってきました、長崎(・ω・)

 

今はやりのgo toで(笑)

 

その時の体験をシェア↓

 

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酔っぱらいながら感じること

どうもやっちーです。(・ω・)

 

今、酔っ払ってます(笑)

 

お酒は大好き。

 

基本、一人で飲むことが多いですが

人とわいわい話しながら飲むお酒が、本当は一番好き。

 

一人で飲んでいるときは、

だいたいアンニュイな気持ちだったり、

自分に浸っていることが多いです。

 

月に一回、実家からも仕事からも離れて

自分の好きなことだけに集中する時間を作るようにしています。

 

もともと好きなことをそのまま仕事にしているので

気が付くとプライベートと仕事の境界線がとてもあいまいになることが多いのです。

なので、意識的に区切るようにしています。

 

じゃないと、ずっと仕事しているので(笑)

 

で、今日から二泊三日で、自分に集中する日です。

 

ある意味、一人暮らしのシミュレーションも兼ねています。

 

早くひとり暮らししたいなあ…。

浦安あたりに住みたい。

 

…脱線したわ。w

 

 

基本はディズニーに浸るのだけれど

 

なんか今日、金曜ロードショーで「プラダを着た悪魔」をやっていたらしいじゃないですか。

 

その情報を見て、なんかむしょーに見たくなりまして、見たわけですよ。

 

もともと大好きな作品で、割と定期的に見てるんですけど。

 

まずね、この映画に出演しているアンハサウェイとメリルストリープが大好きすぎるんですね。

 

アンハサウェイになりたい人生だったし、

メリルストリープみたいなお母さんになりたい人生だった。

(マンマミーアの影響強め)

 

あとこれは最近知ったのだけど、この作品でアンの上司役の人が、「メリーポピンズリターンズ」で主演を務めた、エミリーブラントであるという。

メリぽぴでいっきに好きになったのだが、割と私の好きな海外映画に出ていたことが判明し、そこからさらにこの作品が好きになった次第ですはい。

 

骨折したシーンめっちゃ好き。(笑)

 

 

 

ほんで、この作品、見れば見るほどに深みが増すというか、理解が深まるというか。

 

今回改めて見てすごく思ったのが「女性の幸せとは?」というところ。

 

メリル演じるミランダは、アメリカを代表する女性ファッション誌のカリスマ編集長。

彼女は仕事一筋でここまでやってきた一方で、プライベートをかなり犠牲にしてきている。

さらに、自分の今の地位を脅かされた時、一番自分のことを身近で支えてきてくれた大切な仲間を犠牲にしてまでも、あらゆる手段を使って自分の今いる地位、自分の仕事を守り抜いた。(ここは今回改めて見返してやっと理解できたところ)

 

一方、ミランダのアシスタントとして入社した、アン演じるアンディは、ライターを目指してまったく興味のないファッション雑誌に転職。

カリスマ編集長の下で働く中で様々なことを学ぶと同時に、自身の才能を発揮する一方、自分が本来望んでいた道とは外れ、人生の岐路に立つことになる。

 

かりそめの着飾られた自分で華々しい舞台で自分が輝くのか、

それとも本来自分が求めていた世界を追い求めるのか、

仕事とプライベートの両方の問題を抱え、悩むアンディ。

 

 

充実感と喪失感。

 

 

満足感と虚無感。

 

 

情熱と冷静。

 

 

対局な感情の狭間で悩むアンディ。

 

 

そして最後には、自分が否定してきたはずの上司と同じ道を進もうとしている自分にはたと気が付き、「私はあなたとは違う」と、本来の自分を取り戻す。

 

 

 

こういうの、あるあるなんだろうなぁ。

 

 

というのを、今、大人になって改めてこの映画を見てみて、感じた。

 

 

 

たとえ出世のためとはいえ、自分が本来抱き続けてきた自分の信念だけは、決して忘れてはいけない。

 

 

でも、自分の信念というのは、どれだけ明確になっているのだろう。

 

 

周りの人は、特に長い付き合いであればあるほど、そういった変化に気づきやすい。

 

だからアンディの恋人は一度彼女と別れたのだ。

 

 

どんな時でも、自分という軸を見失ってはいけない。

 

 

だから常日頃から、自分と向き合うということが大切。

 

 

 

ここで改めて自分に問う。

 

 

『私は、私の人生を生きているだろうか。』

 

 

私は、やりたくない仕事ができないタイプの人間だ。

 

 

嫌いなことができないタイプの人間だ。

 

 

だから、好きだと思える仕事をしている。

 

 

でもそれは時に、「仕事とプライベートの境界線があいまいになる」というデメリットにもなる。

 

 

だからあえて問おう。

 

 

私は私の人生を生きているだろうか。

 

 

私は私の魂に従って生きられているのだろうか。

 

 

💖愛と光をあなたにオトドケ💖

やちよ(・ω・)

はるか遠い魂の記憶

**今回の記事内容は、私が体験した不思議な話についてです。**

**戦争にまつわる話が入ります。一部私の想像によるフィクションも入ってます。**

**信じるか信じないかはあなた次第です。**

 

 

**見えない世界の話、魂の話、不思議な話に理解のある方のみご覧ください。**

 

 

それではどうぞ。

 

 

 

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死にたくなる理由

どうもやちよです。(・ω・)




人はどうして死にたくなるんだろう。


私はどうして生きているのだろう。


誰かの訃報を聞くたびにそんなことを考える。




私もかつて死にたい時期があった。


私が死にたかった理由は、

「愛されたかったから」。


究極はそういうことだったのだと、今ならわかる。



自分はひとりぼっちだと思っていた。

自分のことを誰も見ていないと思っていた。

自分を愛してくれる人なんていないと思っていた。

誰にも愛してもらえない私は生きてる価値がないと思っていた。


「愛してほしい」

「認めてほしい」

「生きたい」


と、叫んでいた。



今なら、あの時の自分の気持ちを冷静に見れる。

そして、愛を求めていたかつての自分に

「愛してるよ」って声をかけてあげられる。


今は、やりたいことや叶えたい夢にあふれているから、

死んだらもったいないなって思う。



私には夢がある。

私にはやりたいことがたくさんある。

私には実現したい未来がある。

だから死んでしまうのはもったいない。

そんな風に思うようになった。




それに気づけたのは、

私を救い出してくれた人がいたから。

私の愛に気づかせてくれた人がいたから。

私が一人じゃなかったから。




それでも時々考える。


かつて死にたかった私が生きていて、


生きていてほしい人がいなくなる。


理不尽な世の中に時々怒りを感じることすらある。


なぜ私ではなかったのか。


なぜあなたでなければならなかったのか。


じゃあ、私を生かしたそのわけはなんなのか。


神様に問いたくなる。




私があなたに愛していると伝えていたら、

あなたは死なずにすんだだろうか。

「あなたを愛している」と、

もっともっと大きな声で叫んでいたら、

死にたくなるほどの孤独から救い出せたのだろうか。

どうしたら、あなたは死なずにすんだのだろうか。



もう、誰にも死んでほしくない。

志半ばでいなくならないでほしい。

頼むから、生きてほしい。



私は今日もあなたに、

愛していると伝えよう。


私は今日もあなたに

生きてほしいと伝えよう。


あなたに届いていないなら、

もっともっと、大きな声で。


だって私は、

あなたに生きてほしいから。


あなたに笑っていてほしいから。




💖愛と光をあなたにオトドケ💖

やちよ(・ω・)

伝えずにはいられない

どうもやっちーです。(・ω・)

お久しぶりです。
なんと半年ぶりです。
ブログ最後に更新したの去年とかまじか(笑)


今年に入り、コロナが蔓延し、ディズニーが休園してから約四ヶ月。
昨日からようやく再開しました。


休園のニュースが飛び込んできたときは本当にショックで、
何せそのせいで大好きだったファンタズミックは予定よりも早く突然フィナーレを迎え、
期間限定のイベントだったピクサープレイタイムとベリーベリーミニーもきちんと見納めできず終わり、
待ち望んでいた新エリアのオープンは延期になり、
楽しみにしていた春のイベントは日の目を見ることなく終わったのだから。

三月後半に入り、なにやらディズニーの方で再開に向けての動きが見られたときは、「もうすぐか?」と心が躍り、そしてついに再開の発表。

泣いて喜びました。

再開が決定したあと、私は

・四時間半粘ってランドのチケットをゲット
・翌日同じ日のシーのチケットもゲット
・五日前時点で100%雨予報だったのでレイキで晴れにし
・カメラの準備も十分に整えて
・朝五時に目覚ましをセットして

当日を迎えました。



当日までの日数を毎日数えながら過ごしたのはいつぶりだろう。

明日を想って眠れなくなるのはいつぶりだろう。

開園と同時にインするために早起きしてならんだのはいつぶりだろう。

足腰がくたくたになるほど歩き回ったのはいつぶりだろう。


「年パスだからいつでも行ける」という日常が突然終わり、

次いつ行けるかわからない日々が続き、

ようやく待ち望んだその日が来て思い出したこと。


ディズニーがどれだけ私に夢と勇気と希望をくれるか。

私にとってのホームであり、原点。

その場所にまた帰ってこれたことが嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。

大好きなグーフィーやミッキーや仲間たちが変わらず最高の笑顔で迎えてくれたのがたまらなく嬉しかった。

少し前とは違うけど、夢と魔法は変わらずそこにあってくれたことがどれだけありがたかったか。


そして、今回の再開にあたり、キャストの皆さんが安全最優先で動きながらも、私たちゲストを「おかえりなさい、まってたよ」と最高の笑顔で、おもてなしで迎えてくれたことに感謝が止まらなかった。

できる限り、最大限のハピネスをくれた。

本当に、ディズニーはすごい。


なかは驚くほどにすかすかで、
アトラクションはどれも5~10分。
ゆったりのんびり過ごすことができて、本当に今までにない充実感だった。



やっぱり私は、ディズニーが好きだ。


この「好き」を、もっと伝えたいと思った。
伝えようと思った。


きっとそれが、私のワクワクだ。


💖愛と光をあなたにオトドケ💖
やちよ(・ω・)

家族が知らない父の姿

どうもやちよです。(・ω・)


先日誕生日を迎え、またひとつ歳を重ねました。

お陰さまでたくさんの人にお祝いしていただき、しかも三年連続でベイコートで過ごさせていただき、感謝の極みです。

そして、色んな方から色んな言葉をいただいているなかで感じたのが、
『私はすでに、なりたい自分になっている』ということ。
かつてなりたかった理想の自分は、すでに私の中に揃っていたのだと気づかせていただきました。

そしてそんな自分に気づかせてくれたのは、これまでであってくださった皆様のお陰です。

本当にありがとうございます。






さてここからが今日の本題。





私の誕生日、それすなわち父の誕生日でもあり。


父は今年、還暦を迎えました。


テレビ関係の仕事をしている人なので、そちらの業界の知り合いも大変多い父ですが、今回父と長年共に仕事をしてきてくださった方々が、なんとサプライズでパーティーを企画してくださり、なんとなんと我々一家も招待されることに。

というわけで、仕事が終わるとそのまま都内某所の会場へ。



当日はなんと、100名近くの方父のためにが集まってくださったとか。

父本人も「俺はこんなに人望があったのか」と自分で驚いていたほどの大規模なパーティー


たくさんの方が父のために集まり、父のためにお祝いの言葉をプレゼントしてくださいました。


中には今や大活躍されてとてもお忙しいはずの方も・・・。



私、父の誕生日(そして自分の誕生日)に乗じてめちゃめちゃいい思いしてる(笑)







父へのメッセージの中には


「(父)には仕事をする上で大切なことをたくさん教えていただいた」
「今自分が活躍できているのは(父)のおかげ」
「他の仕事をするときも、思い出すのは(父)が教えてくれたことだった」
「こんなに愛をもって仕事をしている人は他にいない」


などなどなど・・・


父にはもったいないぐらいのありがたい言葉のシャワー。


怒鳴られたことも叱られたこともたくさんあっただろうに、それらすべてを『愛』と受け止めてくれていて。


父と一緒に仕事をして来た人からみて、父は『愛の深い人』でした。


そこには、家族が知らない『父』がいました。


そしてその会場には、たくさんの『愛』が溢れていました。



父は仕事を通して、たくさんの人の人生を好転させてきた人なのだと、初めて知りました。



嬉しかった。



安心した。



父は、幸せな人生を歩んでいると。



そしてこれからもそんな素敵な人たちに囲まれて仕事が続けられるのだろうと。



サプライズで読んだ手紙で父をだいぶティーダウンしてしまったことをだいぶ申し訳なかったなと反省。(笑)




やっぱり父は、凄い人です。



還暦をきっかけに、父に対する気持ちに変化が生まれた一日となりました。




良いところも悪いところも、たくさん似てしまった私。




父から引き継いだいいところはもっと伸ばして、悪いところは気を付けて、私自身も精進したいと思います。

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💖愛と光をあなたにオトドケ💖
やちよ(・ω・)