はるか遠い魂の記憶
**今回の記事内容は、私が体験した不思議な話についてです。**
**戦争にまつわる話が入ります。一部私の想像によるフィクションも入ってます。**
**信じるか信じないかはあなた次第です。**
**見えない世界の話、魂の話、不思議な話に理解のある方のみご覧ください。**
それではどうぞ。
私は以前から、人の生き死にについてとても関心があった。
人はなぜ死ぬのか、なぜ生きるのか、
自分はなぜ生きているのか、何のために生まれてきたのか、
そんな途方もない疑問を、いつも持っていた。
そして人の死、特に若い人の死にはすごく敏感だった。
若い人の訃報を聞くたび、
「なぜあの人は死ななければならなかったのか」
「なぜあの人は死んで自分は生きているのだろうか」
と、絶望感にかられることがよくあった。
私の人生の中で、大きな死が二つあった。
一つは、20歳の時に亡くなった同級生の死。
漫画家を目指して美大に通っていた彼女は、私の知らないところで病と闘っていた。
志半ばでこの世を去った彼女の死は、私に大きな絶望を与えた。
「なぜ彼女が死んで私が生きているのか」と、強く自分を責めていた。
もう一つは、若くして亡くなった先輩の死。
とても優秀な人だった。あまりにも突然すぎる訃報だった。
その人のために何か自分もできたんじゃないかと、やはりその時も自分を責めた。
若く希望にあふれた人がこの世を去り、自分がのうのうと生きている現実を、私はなかなか受け入れられないでいた。
まるで大きな十字架を背負っているかのような、そんな気持ちだった。
様々な学びを通して、自分が何のために生きるのか、この人生をどう過ごしたいのか、少しずつ明らかにはなっていた。
多くの夢をかなえてきたし、素晴らしい人々にも囲まれながら、私は平和で幸せな日常を過ごさせてもらっている。
とても、恵まれていると思う。
それなのに、時々ふと、とてつもなくやるせないような、切ないような気持ちになるのだ。
このブロックはいったいどこから来るのか、ずっとわからなかった。
―――――――――
数年前、とある潜在意識に深く入るワークを体験した。
そのワークは何度も体験していたが、その時はとても深く入ったようだった。
ある点を超えると、自分の感情ではないものが湧いて出てきた。
腹のあたりが痛い。
何か、吐血しているような感覚。
息が荒く、苦しい。
なんとなく、自分は腹を撃たれているのだと感じた。
そして自分は今、南国の浜辺に倒れているのだと感じた。
腹を撃たれ、地面に這いつくばり、吐血をしながら、私は必死に叫んでいた。
”生きたい”
”生きて日本に帰るんだ”
”こんなところでくたばれない”
それは第二次世界大戦の最中。
私は南の島に派遣された軍医だった。
生と死の狭間で、私はなにがなんでも生きようとしていた。
生きることを望んでいた。
生きて、国に帰ろうとしていた。
しかし、必死にもがき苦しんだ後、突然、ぱたりと何もなくなった。
「あ、死んだ」
と、直感的に感じた。
それは不思議な体験だった。
その体験が何を意味しているのか、その時は理解できなかった。
―――――――――――
「自分は幸せになっていいのだろうか?という思いがどこかにありませんか?」
この問いかけが、私の魂の扉を開いた。
――――――――――――
草加修。
俺のかつての名だ。
俺はかつて、海軍で軍医をしていた。
長崎の田舎に生まれ、地元ではガキ大将と恐れられた。
父は海軍で軍医をした後、地元で診療所を開いた開業医だった。
もともと軍に所属していたのでしつけは厳しかったが、地元の人やかつての仲間に慕われる、心優しい人だった。
手に負えないような悪ガキだった俺を、父は海軍に放り込んだ。
俺はそこで鍛えられ、何とか軍医になることができた。
将来は、父の診療所を継ぐつもりだった。
かわいい妻と結婚し、幸せな家庭を築いていこうと誓った矢先だった。
俺に出兵命令が出た。
行先は、ガダルカナル島。
俺は、長崎に妻を残し、南国・ガダルカナル島へと向かった。
父は、俺が軍に入れば少しは暴れん坊な性格もおとなしくなるだろうと踏んだのだろう。
しかし、俺のモットーは自由であること。
俺の自由はたとえ軍のお偉いさんにも抑え込めない。
俺は船の上でも自由だった。
魚を釣り、釣った魚を刺身にしたり焼いたりしてみんなで食った。
部下に無茶ぶりを仕掛けたり、冗談を言って笑わせた。
船はいつも笑いで溢れていた。
まるでそこには、戦なんかないかのようだった。
でもそうしなければ、笑いがなければみんな、おかしくなりそうだったんだ。
兵隊は俺よりも若い連中ばかりだった。
みんな未来に希望を持った若者だ。
そんな若者たちが、お国のためにと、知らない南の島に戦いに出る。
不安で夜も眠れないやつも多かった。
戦争が終わったらお母ちゃんの作った飯をたらふく食べたいというやつもいた。
故郷に帰ったら思いを伝えたい人がいると、顔を真っ赤にして話すやつもいた。
出兵するころにおなかに赤ちゃんがいることが分かり、帰るころには生まれているというやつもいた。
俺は医者として、そんな奴らの心も支えてやらにゃいかんかった。
ガダルカナル島は、日本軍にとって重要な島だ。
あそこには海軍の飛行場がある。
しかし、一度作戦に失敗し、今はアメリカ軍の手にわたってしまった。
日本軍は今、窮地に陥っている。
武器も食料も人も足りていない。
そのうえ、今島にいる連中を襲っている大きな要因がマラリアだ。
十分な医療設備が整っていないがために、病に倒れる兵士が続出していると聞いている。
俺はそいつらのためにここに来た。
だが、いざ上陸してみるとその現状は予想をはるかに上回るものだった。
奴らは俺らに容赦をしない。
そのうえ、病はどんどん広がっていく。
止めるすべがなかった。あまりにも設備が、道具が、薬が、足りなさ過ぎた。
せっかく兵士たちを救うために上陸したのに、俺には何もしてやれなかった。
ただただ、励ますことしかできなかった。
戦中、病気やケガで動けなくなった兵士には、3つの選択肢が与えられる。
一つ目は、何とか安全なところまで移動して治療を受ける。
これにはそのけがや病気をしたやつらを運ぶための人手が必要だ。
二つ目は、その場に置いていく。
つまり、見捨てるということだ。
三つ目は、一番残酷だ。
使い物にならないからと、その命を仲間の手によって終わらせる。
治療ができないと、その場に置いていくしかなくなるが、万が一そいつが敵の捕虜につかまってしまった場合、敵に情報が漏れてしまう可能性がある。
あるいはひどい仕打ちを受けることもある。
だから多くの兵士は三つ目の選択肢を選ぶ。自らの選択だ。
つまり俺に「殺してくれ」と乞うのだ。
俺よりも若い兵士が、俺に殺してくれと頼んでくる。
必要な道具さえあれば、適切な環境さえ整っていれば助けられるけがや病気にもかかわらずだ。
あきらめるなと何度も言った。
でも、それでもあいつらは、お国のために殺してくれと頼むんだ。
仲間の命を救うためにこの島に来たはずの俺が、仲間の命を奪っている。
こんなに残酷なことがあるだろうか。
仲間たちは、最後に口をそろえて俺にこう言った。
「ありがとう。あとは頼む。」と。
多くの若い仲間の命を奪った俺には、なにがなんでも果たさなければならない使命があった。
必ず生きて国に帰り、彼らの言葉を伝えること。
それが俺の使命だった。
だから俺は生きて帰らなければならなかった。
だが、俺は甚大なミスを犯してしまった。
物資を受け取るため浜辺に出たところを敵軍に見つかり、腹を撃たれた。
薄れゆく意識の中で、仲間の声が聞こえた。
銃声が鳴り響く。血しぶきが飛ぶ。
その血しぶきは俺のではなく、仲間のものだった。
俺をかばい、仲間も撃たれた。
逃げろという命令を、奴らは聞かなかった。
俺は仲間を救うために、南の島に上陸した。はずだった。
しかし俺がしたことは、俺よりも若い仲間の命をこの手にかけ、そいつらの想いを、言葉を、国に持ち帰ることもできず、ただただ犬死しただけだった。
後から聞いた話だが、俺の故郷の長崎には、原爆とかいう恐ろしい爆弾が落とされたらしい。
あの世で妻に再会した。なぜここにいるのか訳が分からなかった。
あいつにだけは、俺の分も生きてほしかったのに。
仲間も守れず、家族も守れず、故郷も守れなかった俺は、いったい何のために生きてきたのだろう。
俺より若い、未来ある若者たちがなぜ犬死しなければならなかったのだ。
悔しかった。許せなかった。何もできなかった自分が。
俺は、何のために生きてきたのだろうか―――。
―――――――――――――――――
草加は、命を救うために戦地に赴いたのにもかかわらず、多くの命を、それも仲間の命を奪った。
その時草加は、多くの仲間からたくさんの言葉を、想いを託された。
生きて国に帰り、その言葉や想いを伝えていく使命を背負っていたにもかかわらず、その使命は果たされることなく彼自身も最期を迎えた。
草加は、自分より若い仲間たちに生きてほしかった。
自分はいいから、未来ある若者たちに輝いて生きてほしかった。
彼自身、使命を果たせなかったことにとても罪悪感を持っていたのだろう。
だが、彼が生前周りに与えた影響は、計り知れないものだった。
草加は、多くの仲間に慕われていた。
「軍医殿」と、心から信頼をされていた。
あの過酷な状況の中で、彼の笑顔に、言葉に、存在に救われた者は数多くいた。
そして、みんなが草加に望んでいたたった一つのこと、それが
「生きて」
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夏の日差しの厳しいある日。
前に一度参拝に来たことがあったが、その時はとても氣が重く、胸が苦しくてとてもその場にいられたものではなかった。
きっと、草加の魂がまだ癒されていなかったからだろう。
だが今回は、まったく感じが違っている。
なんだかうれしいような、氣まずいような、恥ずかしいような、不思議な感覚だ。
兵士たちは皆戦場に赴く際、「靖国で会おう」と約束してきた。
草加もそうだった。
ここには、仲間たちが待っている。
鳥居をくぐると、仲間たちから歓迎されているのを感じた。
「軍医殿、お待ちしておりました。」
「ようやくお会いできましたね。」
皆が草加に敬礼し、歓迎の言葉を投げかけていた。
草加は、なんだかうれしそうだった。
本殿に手を合わせ、英霊たちに祈りを捧ぐ。
いつまでも手を合わせていたいような、そんな感覚だった。
静かに涙が頬を伝った。
本殿脇のベンチに座り、草加や英霊たちに思いをはせていた。
その時、びゅうっと風が強く吹いた。
歓迎されていると、直感的に感じた。
草加を縛っていた想いが解放され、草加の魂が癒されていくのを感じた。
草加は、ようやく前を向くことができたようだ。
そして草加は、私にこう言った。
「俺の分も、生きてくれ。」
その言葉には、草加だけでなく、仲間の想いも乗っていた。
不思議と、涙があふれ出た。
心の底から、生きようと、強く想った。
――――――――――――
教科書や史実に載っている歴史は、どこまで本当なのだろう。
きっと本当の意味での真実は、現地にいた人にしかわからない。
草加の話は、記録にはきっとどこにも残っていない。
(残っているのならぜひ知りたい。)
草加の話は、死者数百万人のうちの一人の、小さな話に過ぎない。
でもその数百万人の中の一人の体験こそが、本当の意味で語り継がなければならない歴史なのかもしれない。
彼らが何を体験し、何を感じ、どう生きたのか、興味を持つことがまずは大切なんだと思った。
そして私がこの草加の魂に触れて何よりも強く感じたのが、
私たちの命は、多くの命の犠牲の上にあるということ。
私たちは、多くの命に生かされているのだということ。
今私が生きているこの瞬間は、草加が生きたかった未来だ。
草加が仲間たちに生きてほしかった未来だ。
その未来を私は、どう生きるべきなのか。
私がどのようにこの尊い命を使っていくべきなのか。
それを今一度、考えさせられた体験だった。
私自身は戦争を体験していないけれど、草加の魂を通して、改めて、
戦争は二度と起こしてはいけないと思った。
そして、この日本という素晴らしい国を大切にしなければならないと思った。
私自身が輝いて生きていくことが、日本の輝かしい未来につながるとしたら?
私が私らしく自由に生きていくことが、日本の未来を切り開くとしたら?
私は何を選択し、どのように命を使っていこうか。
私の可能性はまだまだこんなもんじゃない。
もっともっと、開いていきたい。
それが、彼らにできる精いっぱいの恩返し。
私はこれからも、草加の魂とともに、生きていく―――。