やちよ(・ω・)の頭の中。

備忘録的な感じでいろいろ思ったことをつづっています。

君をたどる旅。私を癒す旅。

どうもやっちーです。(・ω・)

 

以前こちらの記事でお話しした私の前世↓

yan-yan-814milk.hateblo.jp

 

この人の故郷が長崎ということで、彼のルーツを何か知れないだろうかと思い、

行ってきました、長崎(・ω・)

 

今はやりのgo toで(笑)

 

その時の体験をシェア↓

 

 

まず、長崎空港に降り立った瞬間、心がざわつく。

 

こみ上げるなつかしさ。

涙が出そうになるぐらい、魂が揺さぶられる。

 

アナ雪2で、エルサがアートハランにたどり着いたときに歌った歌

「見せてあなたを」の歌詞がまさにぴったり。

youtu.be

 

 

なぜか懐かしい 震えてるの

不思議だけど 夢でここに来たような

わかるのよ あなたがいると

感じるの まるで我が家よ

 

 

この歌詞の通り、魂が懐かしさに震えていた。

 

 

レンタカーを借り、まず向かうは佐世保

 

海上自衛隊の資料館がある。

そこに、海軍の資料も展示されているらしい。

ここに何か、彼の手がかりがあるのではないかと思った。

 

しかし―――

 

 

「事前に予約されてないと入れないんですよ。」

 

到着するなり係員から告げられた衝撃の事実。

コロナ対策によるものらしい。

事前にホームページ見てたのに…!

 

ついて早々、出ばなをくじかれた。

はてさてどうしたものか。

 

仕方がないので、次に行こうと思っていた九十九島に向かう。

200以上の島が集まるリアス式海岸で、世界一美しい湾と言われているらしい。

遊覧船に乗り、無数の島々の間を進みながら近海を一周する。

 

船の甲板で海風を浴びながら眺める景色が妙に懐かしかった。

 

彼もきっと、この景色を軍艦から眺めていたのだろう。

 

 

二日目は長崎市街。

 

今回の一番の目的地、平和公園原爆資料館へと向かう。

 

長崎市街にきて初めて知ったのだが、

なんと長崎市には「八千代町」という場所があった。

 

「八千代」という名のつく地名が長崎にも存在することを初めて知り、

偶然ではない何かを感じた。

 

路面電車に揺られ、最寄りの駅に降り立つ。

 

早速、心がざわつく。

まず向かったのは、原爆の爆心地。

黒い石のモニュメントが見えた瞬間、ドクンと心臓が波打った。

近づくほどに息が浅く荒くなり、怒りのような、恐怖のような、自分のものではない感情が次から次へと流れ込んでくる。

 

原爆中心地碑の前で静かに手を合わせ、心を静める。

 

ここに、原爆が落ちた。

 

一瞬で、この街の人々の命が奪われた。

 

一瞬で、この街が焼け野原と化した。

 

一瞬で、未来が奪われた。

 

みんな、訳も分からず死んだ。

 

もがき苦しみながら死んだ。

 

その面影は、今はもうない。

 

ただ、記憶だけがそこにあった。

 

 

 

次に、平和公園に向かった。

 

修学旅行の学生たちや、観光客を横目に、

 

静かに、一つ一つを味わうように、感じる。

 

当時被爆者たちは、水を求めてさまよったという。

 

あまりののどの渇きに、油の浮いた水を飲んだという。

 

そんな被爆者たちを弔うため、この公園には水がたくさん流れていた。

 

噴水、世界中から贈られたモニュメント、平和の鐘を通り過ぎると、刑務所の跡地が現れ、向こうには大きな平和祈念像が見えてきた。

 

大きく逞しい、男性の像。

 

祈念像の前では、修学旅行の小学生たちが、何やら献花式のような儀式を行っていた。

 

そのすぐ後ろでは、また別の学校が記念撮影をしている。

 

次から次へと学生が来るので、近くのベンチに座り、その様子をしばらく眺めていた。

 

 

眺めているうちに、心の奥底から、彼の感情が込み上げてきた。

 

 

”ここには、平和がある”

 

 

 

そう思った。

 

その時、自然と涙があふれてきた。

 

 

”お国のために戦えてよかった。”

 

”今、ここにいる子供たちは、爆弾におびえることなく、戦争のない世界に生きている。”

 

”あの子たちはこの場所に来て、平和について考え、学んでいる。”

 

”あの子たちには未来がある。希望がある。なんにでもなれる。”

 

”そんな未来を、作れたんだ。”

 

”俺は、この国のために戦えて幸せだった。”

 

”ここに連れてきてくれてありがとう。”

 

 

彼に、そういわれた気がした。

 

 

 

原爆資料館で、当時の惨劇を目の当たりにする。

 

二度と同じ過ちは繰り返さないでほしいという平和への願いが込められる一方で、

世界を見れば、核実験は各地で続けられている。

核のない世界を作るための条約がようやく結ばれようとしているが、そこに日本は賛同していない。

矛盾した世界がそこにあった。

 

 

そして、ここに来たもう一つの目的。

 

彼の奥さんの手がかりを探すこと。

 

彼が戦死した直後、奥さんは原爆で亡くなったらしい。

向こうの世界で再会した時、彼は訳が分からないという様子だった。

 

せめて名前だけでも、何か手掛かりがないだろうかと、祈念館に向かう。

 

以前、沖縄に行ったときに、戦争で亡くなった人の名前が彫られた石碑がずらりと並んでいたのを見た。

長崎の死没者も、そんな感じで名前が見れるのだと思っていた。

しかし、死没者の名簿は厳重に保管され、一般人は閲覧ができないようになっていた。

 

親族なら市役所に申し出れば見れるとのことだが、今の私は親族ではない赤の他人だ。

 

結局、彼女の手がかりは何もつかめなかった。

 

だが、祈念像の横にあった、身元不明の死没者が眠る場所で手を合わせていたら、

彼女の声が聞こえてきた。

 

”別に来ることなかったのに。”

 

彼女はそういって、いたずらに笑っていた。

 

 

 

 

二日目の最後に訪れたのは、浦上天主堂

 

 

白い教会というキーワードをもとにたどり着いたのがこの場所だった。

 

ここもまた、懐かしさを感じた。

 

もしかしたら、二人はここで式を挙げたのかもしれない。

 

 

 

結局、二人に関する手掛かりは何もつかめなかった。

 

実はほかにも、いろいろなストップが起きた。

ストップがかかったということは、知る必要がなかったということなのかもしれない。

 

きっと、ただ、この場所にこれただけでよかったのだ。

戦争が終わったあとの故郷を、平和な故郷を、彼はこの目で見たかったのだろう。

 

二日目が終わるころには、心はすっかり軽くなり、何やら内側からエネルギーが湧いてくるような感覚があった。

 

 

今回の旅は、完全に彼のための旅だったので、次に来るときは自分のためにまた来よう。

 

そんなことを感じた、長崎一人旅だった。