やちよ(・ω・)の頭の中。

備忘録的な感じでいろいろ思ったことをつづっています。

おじいちゃん

どうもやっちーです。(・ω・)

 

先月、祖父が亡くなりました。
享年94歳。
95歳の誕生日を目前に控えていたところでした。
思えば5年ほど前に心臓発作を起こし、
そこから介護生活となり、何度も山を乗り越えながら、ここまで来たので、
本当にお疲れさまでしたという気持ちです。

 

自衛隊の祖父。
庭師をしていた祖父。
趣味が豊富で、お花やお茶も嗜んでいた祖父。
毎日近所を一時間以上散歩していた祖父。
物静かで優しかった祖父。
私が子どものとき、
祖父が水族館に連れて行ってくれました。
楽しすぎて帰るのが嫌で、
最後には
「こんなところ来なきゃよかった!」
と泣き叫び、
祖父を困らせたこともあったそうな。
(本人記憶なし)
 
お葬式は直葬で、とてもこじんまりとしたものでした。
最後、火葬に移る前にお別れを言うとき、
祖母はずっと
「お父さん」「お父さん」
と声をかけながら、顔を撫でていました。
そして祖母が話していたこと。
 
ある日、病院で祖父は祖母に
「俺は、死ぬのか?」と聞いたそうです。
そして
「死にたくないよ。」と言ったそうです。
 
94まで生きた祖父でも、
死ぬのは怖かったのだと知りました。
 
祖父の死後、祖母が部屋を整理していた時に出てきた祖父のアルバム。
そこには、パリッとしたシャツにジャケットを羽織り、
身なりを整え、背筋がまっすぐと伸びた
祖父の姿が映ってました。
そういえば祖父は、要介護になるまで
いつも背筋がまっすぐで、髪の毛もふさふさで、
年齢を感じさせない若々しい見た目をしていました。
その時の祖父が、そこにうつっていました。
 
さらに、数ある写真の中で一枚、大きな写真がありました。
それが、母のウェディング姿の写真でした。
他の写真は、祖父の自衛隊の同窓会の写真や、
老人会か何かの旅行先の写真ばかりでしたが、
その中で一枚だけ、母の美しい写真が入っていました。
きっと祖父にとって、とても大事な写真だったのだと思います。
 
祖父は、たくさんの言葉を残してくれました。
私が嫌なことがたくさんあった時、
祖父はこんな言葉をくれました。
 
「良いことと悪いことが起きる回数は、人生で決まっている。
良いことが50、悪いことが50だとしたら、
今起きた悪いことは、その50の中の一つ。
悪いことが起きてしまえば、その分必ずいいことが待ってる。」
 
ある弟の誕生日の日、
祖父から送られてきた贈り物の封筒に、
こんな言葉が書かれていました。
 
「本気
本気ですればたいていのことは出来る
本気ですればなんでも面白い
本気でしていると誰かが助けてくれる
本気になれば苦痛と思はない」
 
この二つの言葉は、いまも大切に私の胸に残っている祖父からのギフト。
 
火葬場にて、
燃える祖父を前に涙する
祖母と母の背中を見ながら感じたこと。
孫の
『おじいちゃんが亡くなって悲しい』
娘の
『お父さんが亡くなって悲しい』
妻の
『夫が亡くなって悲しい』
同じ人の死への、
同じ『悲しい』という感情の中には
こんなにも違いがあって、
私が感じている悲しいでは
母や祖母の悲しみは計り知れないもので。
そして、
母はいつか祖母の立場になり、
私はいつか母の立場になる。
そう思ったとき、
いつか来るその日のために
後悔のないように日々を過ごそうと
改めて心に誓いました。
 
人はいつか死ぬ。
それがいつかはわからない。
明日死ぬかもしれないし、100歳まで生きるかもしれない。
でも、20歳でも95歳でも、
いくつになっても死は怖いのかもしれない。
 
いつか来るその時に備えて、
私はこの一瞬一瞬を大切に生きよう。
目の前の人を大切にしよう。
 

💖愛と光をあなたにオトドケ💖
やちよ(・ω・)