やちよ(・ω・)の頭の中。

備忘録的な感じでいろいろ思ったことをつづっています。

かけがえのない死

どうもやっちーです。(・ω・)

 

 

今日まで三日間、八ヶ岳の山の中でセミナーでした。

 

 

 

いやぁ~、山はやっぱいいね。(*‘ω‘ *)

 

 

緑が豊かで空気が澄んでて、とってもすがすがしくて気持ちよかったです。

 

 

 

…まぁほとんど室内だったんだけどね。(・ω・)

 

 

 

その中で気づいたこと。

 

 

 

 

これまで生きてきた人生の中で、悲しいお別れをいくつか経験してきたけど、

 

 

 

その中でも私の人生においてかけがえのない死が二つあります。

 

 

 

そのうちの一つが20歳の時―――。

 

 

 

 

ちょうど今ぐらいの時期だったと思う。

 

ある日突然飛び込んできた、中学の同級生の訃報。

 

その友達は漫画家を目指していて、当時美術系の大学に通っていました。

 

 

享年20歳。

 

 

夢を叶えるはずだったその友達は、わずか20年でこの世を去った。

 

 

当時セルフイメージが地の底だった私にとって、その出来事はあまりに大きすぎて、

 

 

 

「どうして生きる価値のない私が生きていて、夢に向かって頑張っていた友達が死ななきゃならなかったのか」って、何度も何度も思ってました。

 

 

 

 

いつでも会えると思って会いに行かなかったこと、

 

 

 

成人式に顔を出さなかったことを「まぁあの子の性格ならあり得るな」と思い連絡すらしなかったこと、

 

 

 

「あの時ああすればよかった」という後悔だけが残っていました。

 

 

 

でもその友達の死を通して私は、

 

 

「彼女の分も生ききること」「彼女が叶えられなかった分、自分は夢を叶えて生きていくこと」

 

 

この二つを決めたんです。

 

 

 

だから今私はこうして生きています。

 

 

夢を見つけ、夢を叶えています。

 

 

 

私たちの命は永遠かのように生きてしまっているけど、

 

 

死は本当に予想だにしない形で突然訪れたりする。

 

 

だから私は、悔いのない人生を送りたい。

 

 

その友達の分も夢を叶え、「最高の人生だった」と言えるような生き方をしたい。

 

 

そんなことを改めて思った、八ヶ岳の三日間でした。

 

 

💖愛と光をあなたにオトドケ💖
やっちー(・ω・)

居場所

どうもやっちーです。(・ω・)

 

 

 

中学生の時の私はいつも孤独で、自分が居場所と思える場所を求めていた。

 

 

 

でも、大人になった今の自分の状況を見て、

 

 

 

今の自分には大切な居場所がたくさんあることに気が付いた。

 

 

 

どこに行っても、私という存在を受け入れてくれる人がいて、

 

 

 

私を成長させてくれる場所。

 

 

 

私が輝ける場所。

 

 

 

そんな場所に、私は今、囲まれている。

 

 

 

それは、かつての私が求めていた場所。

 

 

 

ずっと探していた場所。

 

 

 

そんな居場所が、今はある。

 

 

 

それに気が付いた時、私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

 

 

 

私を受け入れてくれる場所があるって心強い。

 

 

 

私を成長させてくれる場所があるってありがたい。

 

 

 

あの頃の私に見せてあげたい。

 

 

 

私に居場所をくれたみんなに心から感謝です。

 

 

 

そして、

 

 

 

いつか私も、誰かのそんな居場所のような存在になれますように。

 

 

💖愛と光をあなたにオトドケ💖
やっちー(・ω・)

親子ゲンカ

どうもやっちーです。(・ω・)



GW前に母と喧嘩をしました。



きっかけは些細なこと、つもり積もって爆発。



以来、半月ぐらい一切口を聞かない日々。



その間私は、意固地になってるお子ちゃまな自分と、そんな自分を俯瞰してみている愛に溢れた自分との間でずっと格闘してました。



親との対立は、自分と向き合う良い機会。



モヤモヤするしイライラするけど、これも自分で選択したことだと思いながら、自分の心の声に耳を傾けてました。



で、わかったこと。



元々承認欲求の強い私。



お母さんに見てもらいたい。誉めてもらいたい。
なのにお母さんは私に注意したり、ダメなところを指摘してばかり。
もっとちゃんと私を見てよ!
という気持ちがあったこと。



「おはよう」と声をかけられても無視し続けたら、自分が苦しくなっていた。
それは、「お母さんが大好き」で、「本当はお母さんと話したい」という気持ちがあるがゆえだということ。




結果、私は母が大好きだという結論に至りました。




昨日は母の日ということで、母が大好きだと改めて気づいた以上、これ以上コミュニケーションをとらないのも、母の日になにもしないというのも、自分の気持ちが苦しくなるだけだったので、母の好きなモンブランを買って帰り、ケーキを食べながら気持ちを打ち明けました。



仲直りなんてのは案外あっけなくて、喧嘩になった原因の言葉は母自身の状況から来ていたこと、私だけでなく父や弟にも当たりたくなるぐらい母がいっぱいいっぱいになっていたことがわかり、あっさり仲直りできました。




『家族は一番身近な他人』なんて言うけど、根っこは愛で繋がっていて、その縁はどう頑張ったってそう簡単には切れない。



ましてや母親なんて、もとは身体を共にしていた運命共同体なのだから。




すべての根っこに愛がある。改めてそんなことを感じることができた、気付きの親子ゲンカでした(・∀・)


💖愛と光をあなたにオトドケ💖
やっちー(・ω・)

我我我

どうもやっちーです。(・ω・)


すっかりさぼっておりました。





私の最近のテーマ「我」





我、とは。










GA






このところ、鼻が壊れた蛇口みたく、鼻水が止まりませんでした。



元々鼻炎がちで、よく鼻をかんでいる私なのですが、今回はアホみたいにティッシュを消費しておりました。



鼻は、我が表れるところらしい。



鼻水が止まらない、それすなわち「我を洗っている」のだとか。



つまりは浄化中。




何となく、心当たりがある。







日々の忙しさに追われていると、つい自分をないがしろにしてしまう私。




心や体の声にじっくり耳を傾ける時間もなく、じっとしてるのが苦手な私は、毎日あちこち駆けずり回る。




だから、忙しいときほど一度立ち止まって空白の時間を作る。




今の自分の状態を客観的に見て、無理がないかどうかを確認する。




そうやって定期的に「我」を振り返り、「我」に帰る時間を作るのが私の課題。





まだまだ伸び代たっぷりの私です。




「我」を知り、「我」に飲まれず、一貫した「我」を通す。




そんな自分になりたい。

💖愛と光をあなたにオトドケ💖
やっちー(・ω・)

どっしり感

どうもやっちーです。(・ω・)

 

すっかりブログがご無沙汰になってしまっておりました…。

なんと、前回の更新から1カ月以上たってしまいました…。

てぇへんだ。

 

 

最近はあちこち飛び回りまくっております。

 

 

2月の半ばぐらいに一週間ぐらい引きこもり休み(と言いつつ半分ぐらい外に出てた)をいただいた後、怒涛のお仕事ラッシュ。(‘ω’)

 

舞浜でのイベント、会員制ホテルでのセッション、宝地図マスターコースとカタリスト養成講座が二週連続で続き、翌週から大阪に一週間。

帰ってきて一息つく間もなく会議→セミナー→名古屋2日間←なう‼(笑)

ちなみにこの間に朝四時起きでダイビング、2日間の京都散策、0泊3日の弾丸香港ディズニーツアーも込み込みです。(‘ω’)

そして名古屋から帰ってきたらまた会員制ホテルで三日間過ごして、また大阪行きます。(笑)

 

 

 

…こうして改めて文章で振り返るとやべえな‼‼‼

 

 

 

ほとんど家にいないよ‼‼‼(笑)

 

 

 

毎日充実してんな‼‼‼(笑)

 

 

 

 

まぁそんな感じでなんとも慌ただしい毎日を過ごしておりますが。

 

 

 

一つ気が付いたことがあったのでシェアします。(・ω・)

 

 

 

 

先日エネルギーマスターを受講した人と飲みに行ったとき、

「私、EMやってから感情のふり幅が小さくなっちゃったんですけど、これって大丈夫ですか?」と相談を受けたのです。

 

 

 

話を聞くと、以前は結構ちょっとしたことで感動して涙が出たりしてたそうなのですが、EMを受講してからそれが少なくなってしまって不安とのこと。

 

 

前より感情の感じ方が豊かになった、というケースはよく聞いてたけど(男性は特に多い)落ち着くっていうのは私はあんまり聞いたことなかったから、「へ―そんなこともあるんだなー」と思ってたのです。

 

まぁ、感情のふり幅が異常に大きい人もいるだろうから、

それが正常に戻ったのかもしれないし、

感情の感じ方に変化が起きたのかもしれないし、

理由はきっと本人にしかわからない。

ただ、悪いことではないはずだから、EM繰り返しやってみると良いと思いますよ、

ってことでその場は落ち着いたんですけれども。

 

 

後々自分を振り返ってみて、思ったのです。

 

 

「そういえば、私も感情のふり幅、前より落ち着いたかもしれない。」と。

 

 

 

感動をしなくなったわけではないのです。

 

 

ただ、なんというか、どっしり感ができたというか。

 

 

軸が太くなったというか。

 

 

感覚としてはそんな感じ。

 

 

 

 

悪いことが起きても「最終的には何とかなる!」って思えるし、

 

 

自分ができなくても「誰かに助けてもらおう!」って思えるし、

 

 

目の前の人と関わる時、その人の無限の可能性を心から信じられるし、

 

 

ちょっとしたことでめっちゃ不安になったり不機嫌になることも減った。

 

 

逆に嬉しいことや楽しいことはより噛みしめるようになった。

 

 

例え感情がポジティブやネガティブに触れたとしても、すぐに真ん中に戻ってくる。

 

 

いつも自分が真ん中にいるような、そんな感覚。

 

 

 

これが…中庸?

 

 

 

 

多分こうなってきたのは、11月に再受講したEMの時ぐらいからだと思う。

 

 

 

 

前にめちゃくちゃ忙しくて、責任がドカッと乗ってきたとき、自分の中でいろんなものが積みあがって崩れたことが何度かあった。

 

あの時は、全部ひとりで抱え込もうとしてたけど、今は「なるべく頼ろう」「一人では頑張らない」って思ってるから、同じような状況に今たぶんいるけど、そんなに心は重くないのです。

 

 

 

 

これ、自分的にすごい変化じゃね?って思った。

 

 

 

だってかつての私は、すぐにイライラして物や人にあたって、この感情の行き場をどうしたらいいのかわからなくなってたのに。

 

 

 

今やちょっとしたことで動じなくなってしまった私。

 

 

 

すごない?(笑)

 

 

 

たぶん私の場合、EMや、大島ケンスケさんから教えてもらった瞑想、

カタリストで学んだあり方や、ヴォルテックスっていう環境…

こういったものが総合的に私に作用して、私の心に平安をもたらし、

自分軸を確立していくことができてるんじゃないかなって思います。

 

あとたぶん私宇宙と繋がったんだと思う(笑)

 

 

自分を知るって大事だね。(・ω・)

 

 

学んだことを実践するって大事だね。(・ω・)

 

 

宇宙と繋がるとこうなるんだね。(・ω・)

 

 

 

 

そんなわけで最近どっしりやっちーな私です。(・ω・)

 

 

 

そろそろ春だねぇ~☆

 

💖愛と光をあなたにオトドケ💖

やっちー(・ω・)

私がなぜヨサコイを始めたのか

どうもやっちーです。(・ω・)

 

ブログの更新がすっかりご無沙汰になってしまいました…。

 

 

今年から始めたヨサコイの練習が本格化し、絶賛全身筋肉痛の私です☆

 

 

もーね、階段の昇り降りとかつらいのなんのって(笑)

 

 

でも無茶苦茶楽しいです。

 

私が本当にやりたかったヨサコイをやってる感じ(*‘ω‘ *)

 

特に掛け声!

 

踊りながら思いっきり腹から声を出す。

 

ノッてくると、関係ないところで自然と声が出る。

 

それもOK。

 

 

「ウオー!」とか、「おりゃー!」とか、「セイヤ!」とか、

 

 

もちろん空気読みながらだけど(笑)

 

 

高校の時は、”みんなで一緒に”同じタイミングで同じ掛け声を、わりとまぁ高校生らしい声で言ってた感じだったから、大人のチームみたいに、思いっきりはじけて自分を全力で表現するっていうことがここではできて、もう魂の喜びを感じています。(*´Д`)

 

 

 

 

 

 

ところで、

 

 

 

なぜ私がヨサコイを始めたのか、

 

 

今回はそれについてお話ししたいと思います。

 

 

 

まぁ一番の理由は、今年のテーマである「アウトプット」をしていくための手段。

 

 

そしてずっとやりたかったことだったから。

 

 

 

高校の時、初めてヨサコイのお祭りに参加したとき、魂が震えた。

 

 

自分たちの演舞を見て、お客さんが笑顔になって、喜んでくれるのがうれしかった。

 

 

そして何より、高3の時に念願かなってようやく立てたあの『ファイナルステージ』に

もう一度立ちたいと思った。

 

 

ずっと、いろんな言い訳をして先送りにしていたやりたかったことを、今年は思いっきりやろうと思って、決めたのが今年です。

 

 

 

でもヨサコイチームって、全国にものすごい数あるんですよ。

 

 

千葉県にもたくさんあるし、何ならもう一つ「舞神楽」っていう、これまたどちゃくそカッコイイ、千葉でも有名なチームがあるんです。

 

 

なのになぜ、私は北天魁を選んだのか。

 

 

理由は入ってからわかりました。

 

 

 

例えば北海道の大御所チーム『平岸天神』と言えば、カラフルなハッピ。

 

平岸天神に並ぶ大御所チーム『新琴似天舞龍神』と言えば、豪華賢覧な大道具。

 

夢想漣えさし』と言えば、白い扇子。

 

…みたいな感じで、大体有名なチームには「このチームと言えばこれ!」っていう何かがあるんですが、

北天魁だけは、その「何か」が私にはわからなかった。

つまり、毎年毎年新しいんです。

 

でも、今年の演舞の音楽を初めて聴いた時、曲の最後に

 

「私はここにいる」

 

という歌詞がでてきて、「そういえばこのフレーズ前にも聞いたぞ?」となり、

過去の演舞を見ていくと、他の演舞にもこの歌詞が出てきたんです。

 

 

それで、この「私はここにいる」という言葉に、北天魁というチームに込めた想いすべてが集約されているんだなっていうのに気が付きました。

 

 

メンバーの方や代表の方の話を聞いていてもそれは感じていて、

 

 

みんな「私はここにいる」というのを全力で表現するために、演舞のことだけでなく、自分のこと、仲間のことを、いつも全力で考えている。

 

 

答えのない正解を求めて、日々議論を重ね、「どうしたらもっと良くなるか」をたくさん考えてる。

 

 

北天魁という場所は、「ヨサコイ」を通して「人としても」もっともっと成長できる場所なんだ、っていうのが、入ってみてわかりました。

 

 

だから私が惹かれたんだなって。

 

 

 

…なんか、私って結局そういう場所に惹かれてしまうんだな。(笑)

 

 

 

 

奥深いんですよこのチーム!

 

 

だからこそやりがいがある!

 

 

 

そんな素敵なメンバーと、踊りも人間性も一緒に磨いていけるこのチームが、ますます大好きになりました♡

 

 

 

 

春になったら外で踊る機会も出てくると思うので、その時はぜひ見に来てくださいね☆

 

 

 

そして千葉県に住んでる方はぜひ一緒に踊りましょう!

 

てか踊ろう!

 

この魂が震える感じを!思いっきり自分を表現できる喜びを!

1人でも多くの人に味わってほしい!!!!!!

 

 

マジで最高だから!!!

 

 

一緒に踊りましょう!

 

 

 

北天魁のことをもっと知りたくなった人はこちらをご覧ください☆

chibayosakoi.com

 

 

水曜日の練習までに筋肉痛どうにかしなきゃ(笑)

 

 

💖愛と光をあなたにオトドケ💖

やっちー(・ω・)

母の才能から学ぶこと

どうもやっちーです。(・ω・)

 

 

私の母は、すごい才能を持っている。

 

 

それは「今置かれている環境を楽しめる」という才能。

 

 

 

その最たるものが、わが両親の夫婦生活。

 

 

 

私の父は、筋金入りの仕事人間で、絵にかいたような亭主関白。

 

 

やってもらって当たり前、些細なことですぐ大きな声で怒鳴る父。

せっかちで人混みと野菜が嫌い、お金の使い方も豪快な父に、

それでもここまで連れ添った母。

私が子供のころは、しょっちゅう喧嘩もしていた。

 

 

幼心に、「どうしてお母さんはお父さんと離婚しないんだろう?」

と思っていた。

 

 

 

両親の結婚20周年記念日の日、記念日とかそういうのに執着のない母に、

こんな質問をしてみた。

 

 

 

「お母さん、よく20年も一緒に入れたよね。

お父さんと離婚したいとか思ったことないの?」

 

 

 

その質問に母はこう答えた。

 

 

 

「でもね、なんだかんだここまで楽しかったよ。」

 

 

 

 

お見合いで出会った父と結婚する前、とある事件があって

「この人とは結婚できない!」と思ったにもかかわらず、

断るタイミングを逃し、あれよあれよと結婚。

その後母の母(私の祖母)に「離婚したい」と相談するも、

「まずは三年一緒にいてごらん」と言われ、

三年が五年になり、十年になり、今に至る。

そんな母。

 

 

子供のころから引っ込み思案でおとなしい性格だった母。

豪快で亭主関白な性格の父と結婚したことで、新しい体験をたくさんしてきた。

自分では怖くて買えなかったようなものを、

父の後押しのおかげで買えたものもたくさんあった。

母一人では叶えられなかった夢を、

父と一緒にいたことで叶えられた夢もあった。

 

 

嫌だったことも、悔しかったことも、喧嘩したことも、

全部全部ひっくるめて、「楽しかった」という言い放ってしまう母。

その時私は、「この人には一生敵わない」と思った。

 

 

 

 

母は夫婦関係に限らず、

私の高校の部活役員も、

恩師の先生から託された仕事も、

そして一番苦労したであろう、一癖も二癖もある二人の子育ても、

たぶん全部なんだかんだ楽しんできたと思う。

 

 

 

この「今置かれている環境を楽しめる」という才能は、

現代社会を生き抜くうえでとっても役に立つ才能だと思うし、

この才能を持っているだけで、人生がうんと楽しくなると思う。

 

 

 

この前、フラッと入ったレストランで、隣に座っていた社会人一年目の女の子たちが、

仕事の愚痴を垂れ流してた。

 

 

聞こえてくる会話を聞きながら、「こんな人、世の中にごまんといるんだろうな。」と

複雑な気持ちになった。

 

 

もし、「今置かれている環境を楽しめる」という才能を持っていたら、

しんどい仕事の中に楽しみを見出すことができるかもしれない。

 

レストランで出てくる会話の内容も、愚痴から希望に代わるかもしれない。

 

 

 

母を見ていて思う。

 

 

自分の人生を楽しくするのもつまらなくするのも、

結局自分次第なんだと。

 

 

 

 

 今日を楽しくするのも、つまらなくするのも、全部自分次第。




私はどっちの人生にしようか?


💖愛と光をあなたにオトドケ💖

やっちー(・ω・)